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1998年02月 大学卒業論文「麻雀の心理学」池谷雄一著

 1998年、ニューロン設立者で現代表理事の池谷雄一(認定心理士)が大学の卒業論文として執筆した「麻雀の心理学」をご紹介します。

 この論文が発表された1998年頃は、まだ昭和の第二次ブームの影響が根深く残っており、麻雀文化に対する世間のまなざしは好ましいものではありませんでした。

 当時、全国初の大学公認麻雀部(競技麻雀研究会)の部長を務めていた立場から、過去のイメージ(負の遺産)を払拭し、これからの時代性・価値観にフィットする「新しい麻雀文化の在り方」を提言し実現したい、との想いで綴った論文でした。

 四半世紀を経た現在(2024年)に読み返すと、「麻雀文化の未来」は当時想像していたスタイルの、さらなる先へと進んでいることに驚かされます。

 麻雀ブームを戦前、戦後、平成、令和という区切りで捉えてみると、麻雀文化を取り巻く環境や、背景にある価値観に応じて、「麻雀の楽しみ方」は随分と様変わりしてきたようです。

 さらに四半世紀後の2050年頃、麻雀文化はどのようなスタイルに進化しているのでしょうか。とても楽しみです。/ニューロン代表 池谷雄一


題目:麻雀の心理学

著者:池谷雄一/日本心理学会 認定心理士

発表:1998年2月 文教大学人間科学部心理学科 卒業論文


論文要約

 麻雀というゲームには以下の3つの側面があると考えられる。

 ① 確率やパターン認識などの数理的な理解を基礎とする、パズルゲームとしての側面

 ② 対戦者4名の間で、既知の情報を媒体とする心理的な駆け引きを行なう、情報操作ゲームとしての側面

 ③ 対戦者が発する様々な情報を分析し、未知の要素に対して推測を立てる、推理ゲームとしての側面

 麻雀は日本や中国を中心に世界で幅広く親しまれている。その人気の要因は情報操作戦略を駆使する推理ゲ ームとしての魅力にある。本文では、麻雀の持つコミュニケーションツールとしての効用に着目し、現代社会 における役割について考察する。

 また、ゲームを行なう者の間でしばしば唱えられる「ジンクス」という概念 を解き明かし、人間が【未知】への恐怖・不安をどのような心理活動によって解消しているのかを、麻雀のプ レイヤーなどを臨床例に分析する。そこからジンクスや運命論の発生過程を探ってみたい。


◇第一章・対人ゲームとしての麻雀/心理学◇

 麻雀のゲーム性は対戦者の未知の持ち牌、そして対戦者の心理を推理するところにある。捨てられた牌を解読し、捨て牌や態度から相手の思惑を推理し、少しでも真実(未知の持ち牌)に近づく過程がゲームとしての最大の魅力となっている。

 プレイヤー4者は限定された情報の中で、情報操作の一環としての自己演出を試みる。駆け引きの手段は捨て牌だけでなく、表情やしぐさ、雰囲気づくりまで含まれる。日頃の人間関係までもが情報として活用される。ある種の認識競争なのである。

 自分とは立場も思考パターンも異なる対戦者からの視点を推理し、逆に自分の思惑は隠そうと努める。そうした正誤入り交じった情報の中から自分なりの予想を見出す。しかし不確定な要素(牌山)がつねに含まれているため、予想はつねに崩れ、裏切られる。確たるセオリーは存在しない。

 こうした心理過程を幾度となく繰り返すことによって「自分の認識は常に真実である」という利己的な主観からの脱却と、物事に対する客観的な視点を獲得できると私は考える。


 ゲーム一般の成立要因は【仮想の未知】である。人は実社会だけでなく、それをシミュレートした仮想世界の中で存在不安を解消し自己を実現する。ゲームには大抵、人間社会における価値媒体の主幹である貨幣を賭ける。これをギャンブルと呼ぶ。もちろん社会的なステータスやプライドといった目に見えないモノ(共同幻想)も賭け得る。

 【既知】を意図的・人為的に【未知】としておきながら、その限られた選択肢を選ぶことを対象になんらかの報酬or代償を得る。人はこのような行為自体に何らかのカタルシス(情緒・苦難の浄化)を得ているのでないか。

 ジンクスとは異なる複数の現象に対する主観的な関連付けであり、その当事者にとってはリアル(現実)である。運命と似た意味合いのこの言葉は、日常生活の中だけでなく、予測や偶然性を対象とするゲームにおいても重用されている。ゲームを行なう者の多くは、自ら設定した「限られた偶然性」の中に現れる「主観的な必然」(記号的な一致やパターン認識)をジンクスとして尊ぶ。

 ギャンブル関連の出版物にも「ジンクス」「ツキ」「運」「流れ」といった記事が大量に掲載されている。彼らが唱え信奉する運命論は、ほとんどの場合において統計的・客観的な論拠を持たない。論拠を持たないというより、論拠がないからこそ信じられる、という傾向さえあるようだ。確たるセオリーのない対人対戦心理ゲームでは、セオリーがない故、論拠を持たない認識がかえって信憑性を帯びるのかもしれない。

 いわゆる「信じられるのは自分だけ」という不安定な状態に、人の心は耐えられない。心の依存対象としての創作運命物語には、偶然を恐れ必然にすがろうとする人々の願いが込められている。


◇第二章・文化としての麻雀/社会学◇

 日本におけるテーブルゲームの普及はどのような状況なのだろうか。あるアンケートによれば、80年代後半からの家庭用ゲーム機市場の急激な伸びを裏付けるように「TVゲーム経験者」は男性で95%、女性で76%である。

 家庭用ゲーム機の普及により、近い将来「基本ルールは学習済み、でも実際に人と遊んだことはない」という新しい形のテーブルゲームファンが、男女を問わず増えると推測される。

 仲間とワイワイ楽しむトランプや麻雀も、対人対戦を要とするコミュニケーション「ゲーム」である。新しいツールであるコンピューターゲーム市場でも、一緒に楽しめる対戦ゲームソフトが人気を得る傾向が強い。

 1998年に流行した「ポケットモンスター」というゲームでは、自分が獲得したデータを仲間と共有できるという、新しいタイプの遊び方を提示しヒットした。情報という交流の接点だけでなく、情報共有という交流の広がりを提供した点が評価さ れたのだろう。

 遊びの本質とは“仲間と何かを共有すること”なのかもしれない。そうであるならば、麻雀の持つ魅力とは、捨てられた牌を通じての「情報の共有」推理過程における「意識の共有」運命シミユレーションとしての「幻想の共有」ということになるだろうか。


◇第三章・コミュニケーションツール◇

 知的対人ゲームが持つコミュニケーションツールとしての効用には、身体のみならず精神的な活動も含めた自己向上・自己実現の効用があると思われる。実施したアンケート結果を見ると、麻雀を楽しむ仲間は一般的 に10名以上で形成され、一度集まると平均6時間も楽しむようだ。他人との密な接触に乏しい現代社会にあって、このような機会はたいへん貴重である。

 同じ趣味を共有する、同じ楽しい時間を共有できる、そんな暖かい仲間の輪(サークル)に包まれることに「人-間」としての生きる喜びを得る。単に生物として健康に生きるだけではなく、ひとりの人間として社会の中で生きがいを得る。このような自己実現・ウェルネス実現の機会を提供することが麻雀文化の本質ではないだろうか。

 文化というと絵画や音楽などのどこか格式張ったものを思い起こす人が多いかもしれないが、実際は生きる楽しみの中にこそ本当の意味での文化があるように思う。麻雀などの対人ゲームを媒体とする対人交流の機会は、心の乾いた現代社会において一層必要とされるだろう。


◇第四章・明日の麻雀文化◇

 麻雀は、様々な要素が緻密にブレンドされた『至高の知的対戦ゲーム』である。過去の経緯から何かと問題視されてきた節もあるが、近年は知的コミュニケーションとしての意味合いが強まり、新たなムーブメントとして飛躍しようとしている。最近、若者のコミュニケーション能力の欠如(すぐキレる若者)が問題視されているが、私は麻雀の持つ知的交流としての側面が精神的な発達を促すのに非常に有効だと考えている。

 『子供麻将教室』などの普及活動を担う立場の者として、麻将がより有意義な文化となるよう発展させていきたい。直接的コミュニケーションの希薄な現代社会における貴重なふれあいの機会として、人生の良き知的趣味として、麻雀というゲームが認知されることが望まれる。

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麻雀の心理学


麻雀の心理学

ニューロン設立者 池谷雄一 活動履歴(1993年-)

麻雀の心理学

文教大学競技麻雀研究会 活動の様子(1999年)

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